本日5月14日は「母の日」ですね。今回は・・・アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」通称「あの花」のネタバレを含むお話です。でも、話のメインは「あの花」についてでは無いです。
「あの花」は5年以上も前のアニメですが、泣けるアニメとして有名です。アニメに興味なかった人にオススメアニメを聞かれたら、とりあえずは「あの花」を薦めるという人は私以外にも多いのではないでしょうか?
泣けるのには理由が有って、「人が亡くなる」という事について触れているアニメでもあります。特に今回はそこに触れてありますので、「人が亡くなる」事に敏感な人は閲覧注意です。
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「あの花」の脚本家である岡田麿里さんが監督した「さよ朝」がめっちゃ素敵で泣けるのでオススメです!
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目次
「あの花」について
少し前のアニメですので、思い出してもらう為にストーリーを紹介します。
いきなりネタバレ全開ですのでご注意下さい!
まだ見ていない方はこんなブログ読むより名作アニメと言われるあの花を是非見てください!!
劇場版はダイジェスト感あるので、テレビシリーズを見ることをオススメします!
さて、話は「あの花」に戻しまして・・・
昔は仲良しだった幼馴染たち。
でも、高校生になった彼らの距離はいつの間にか離れてしまっていた。
ヒココモリぎみの主人公”じんたん”。
ギャル友達に流され気味の”あなる”。
進学校に通う”ゆきあつ”と”つるこ”。
高校に進学せず旅を重ねる”ぽっぽ”。
そして、仲良しだった小学生の頃から、
それぞれが変わっていく中で変わらない少女”めんま”。
ある日、”お願いを叶えて欲しい”とじんたんにお願いをするめんま。
困りながらも”めんまのお願い”を探るじんたん。
そのめんまの願い事がきっかけとなり、
それぞれの領域でそれぞれの生活を送っていた幼馴染達は
再びかつてのように集まりはじめる。
めんまは小学生の頃に亡くなった友達の幽霊です。
”お願い”を叶える事で成仏出来るはず。という事ですが、めんまは肝心の”お願い”がなんだったかを覚えていません。
色々あった結果・・・その”お願い”を叶える事が出来ました。その”お願い”とは小学生の頃に亡くなったじんたんの母親が、生前めんまに「自分の病気のせいで、じんたんの感情が無くなってきている。私の代わりにじんたんを泣かせて欲しい」といった内容でした。
”お願い”を叶えためんまに、消える時間が迫って来ています。最後の時間で・・・みんなで隠れんぼし、めんまはみんなに手紙を残します。
そして最後、みんなでめんまを見つけて・・・めんまは消えていきました。
「あの花」で泣けるシーンと言えば、やはりクライマックスでしょう!
映画やドラマなどで泣かない私もウルっときて、もうちょっとで泣けそうでした。
他にも小学校の頃の仲間達が秘密基地に再集結して仲を取り戻すのも、泣きポイントでは無いにしろ、人によっては胸熱ポイントかもしれません。
そんな「あの花」の中で私的に一番、胸に響いたのは
母親を失った事で、泣けなくなったじんたん。
でも、めんまのおかげで涙を取り戻した
という点です。
高校生の頃に見たかった!
「母親を失った事で、泣けなくなった」・・・?
先ほど、「映画やドラマ等を観て泣かない」とお伝えしました。子供の頃は忠犬ハチ公の映画を観て号泣した記憶とかあるのにいつの頃か泣かなくなっていました。
それが大人になったという事かな?と思ってたのですが、周りの友人達は男でも、泣く事が有ると言っていて、私はドライな性格なんだなーと思っていました。
ですが、「あの花」を初めて観た時にようやくその理由に気付きました。
私もだ・・・
私の母親は高校生の時に癌で他界しました。
高1の5月頃、半年の余命宣告をされてから4月の頭まで、約1年頑張りました。本人の強い希望で最後は自宅で・・・私達家族の前で息を引き取りました。
20年以上前になりますが、あの瞬間の事は今でも鮮明に覚えています。
最後、血を吐いて意識を失った後、おそらくまだ生きていましたが、高校生ながらに「あ、もうこれは助からない」とはっきり感じました。
余命宣告を聞いた時から有る程度覚悟していましたし、最後の1ヶ月はいつその日が来てもおかしくないという事で退院しました。病院での延命治療は辞めて、自宅で最後を迎えたいという決断の退院です。ですので、私も母親も・・・家族全員が覚悟が出来ていました。
その為か、「ついに・・・」といった感情が強かったと記憶しています。
覚悟が出来ていたクセに、多分・・・状況を飲み込めてなかったような気がします。
その流れで大人になってしまった為、今のドライな感情になったのではないかと思えます。
つまり、じんたんがめんまに救ってもらわなければ、こうなるといったケースですね。
救ってくれる美少女幼馴染が欲しかった(笑)
高校生の多感な時にこのアニメを観てたら、相当心に響いて号泣してたんじゃ無いかなー?と思えました。さすがに今の私は大人になりすぎました。そういえば気付けば、昨年母親よりも年上になっちゃいました(笑)
本題。
有る意味ここまでが前置きです。
私のケースは「泣けなくなる」といった弊害は有りましたが、そんな不幸ではないと思っています。
約1年の準備期間が有りました。気持ちの覚悟も出来ました。出来る限り母親と過ごせたとも思っています。
(もちろん大人になった今だからこそ、母親に聞きたかった事とかもいっぱい有って、生きてればなーと思う事も有りますけどね)
人はいつか亡くなります。私の母親はそれがたまたま早かった。
私の友人の中には、交通事故で身近な人を突然失った友人もいます。それに比べれば幸せです。
私の母親もじんたんの母親同様、感情豊かに育って欲しかったと考えていたでしょうけどね。
役立つ事も。
普段名古屋に住んでいる方とジムで知り合い「なぜ千葉に?」と聞いたところ、「母親が癌でもう長くないので一時的に実家の千葉に戻って来ました。」との事でした。
私も高校時代の体験話をお伝えした事をきっかけに色々お話を伺いました。
介護が凄い大変な事。
長生きはして欲しいけどいつまで続くのか不安・・・
要約するとこんな感じですね。かなり精神的に参っていました。
その方に対して、私は
「わかります。どうせ助からないなら、いっそ早く・・・って考えちゃいますよねー」
って言いました。
まぁ不謹慎ですよね。でも事実でもあります。
その方もその言葉に救われたと言ってくれました。
私が言ったように「どうせ助からないなら、いっそ早く・・・」って考える事が多かったそうです。そしてその事に対して「なんて酷い娘なんだ」と一人で自己嫌悪になっていっていたそうです。
酷くないです。介護大変ですもんね。普通ですよ。
やっぱり悩んでる時は、共感してもらえるだけで救われるもんです。
ただ、普通の人にはなかなか、言えない言葉だと思います。
言ったとしても「あなたに何がわかるの?」と言われかねない発言だと思います。
末期癌で闘病した母親を看取った経験が有ったのを伝えていたからこそ、言えた言葉、共感が伝わった言葉だと思います。(正確には介護を頑張っていたのは父親ですが。)
約1ヶ月後、その方は名古屋に戻っていきました。タイミング悪くお会いは出来ませんでしたが、人づてに感謝の言葉が記された手紙を頂きました。
母との経験が一人の人間を救ったとも言えると思います。さすがに・・・それはちょっと言い過ぎかもしれませんが(笑)
「母の日」
そんな訳で「母の日」にちなんだ投稿でした。
そういえば私はちゃんと「母の日」をしてあげれていないです!そこは後悔しています。
これ読んだ男子諸君!こっぱずかしいかもしれないけど、親孝行は出来るうちにやっとくように!!(その辺り、女性はちゃんとしますからね〜)
多分ですけど、明日でも明後日でも・・・遅れても、お母様は喜びますよ!(あと、父の日もお忘れなく!)
内容のせいも有って、いつも以上にまとまりの無い読みづらい記事となってしまいましたね。
たまにこんなのも、いいかなーなんて(笑)
それでは!